セラピストゆうこの好きなこと・感じたこと

コーチ&セラピストときどきヒーラーの日々徒然

長年運動音痴と思ってたけどそうじゃなかった件

今日はツキイチメンテナンスの日。

「運動不足」を指摘を受けたことから、「運動」について考えてみた。

小中時代、足は遅いし、逆上がりはできないし、跳び箱も飛べないし、とにかくスポーツテストが苦痛でたまらんかった。

 

でも、小学校の時はヘタなりにバレーボールチームにはいり、学校の放課後水泳クラブにはいり、ソフトボールも好きだったし。

小学校時代のクラスの遊びといえば、縄跳び、ゴムとび、ポートボール、ドッジボールだったけど、みんなよりすごく劣るってこともなく、楽しくやっていた。

 

中学はバドミントン部で、練習はきついながら、普通に腹筋腕立てこなしてたし。

決してうまくはなかったので選手にはならなかったけど、体育ではやっぱり球技とマット運動とかは好きだった。

 

高校時代は剣道部、体育の長距離も好きじゃないけど、ものすごく遅いということもなくやっぱりバスケやバレーなど球技は好きだった。

男子の多い高校で、柔道とかラグビーとかサッカーとか一通り経験したけど、けっこう楽しんでた気がする。

体育の先生が体操部の顧問で、平均台の演技で側転で降りるというところまで扠せられたのもやってたんだよな。

 

でも、足が遅かったり逆上がりが出来ないと、他の種目がよくてもスポーツテストの結果は最悪で、体育の成績は中の下とか下の上とか。

で、それが出来ないと、運動が苦手な子レッテル貼られたり、恥ずかしい想いをしたりしたこともあった。

そのため、わたしはずっと運動音痴と思ってたのだ。

 

学生時代はテニス、スキーをやり、社会人になってもテニス、スキー、エアロビにいそしみ、社内レクリエーションではソフトボール、スケート、ボーリング、これがまた楽しい。どこにも運動音痴という要素を感じない。

肉体労働で筋肉鍛えられて、一時期、背筋100キロ越え、握力35キロ越えになった時期でさえ運動音痴と思ってたのだ。(今は平均以下の筋力だけどw)

 

2年ほど前に、リフレクソロジストさんに「これは動く足ですよ」と言われたのをキッカケに、もしかして、なんかできるかも?と見直し始めた。

そして今日、あちこちメンテナンスをしてもらいながら「もしかして、わたしの足って運動する足ってか動く足?」って聞いてみたら、あっさり「そうですよ」

身体の割に足が大きいのは動ける足ですよ、とご指摘を受けてしまった。

 

えええええええ!!!!!やっぱそうなんや。

 

学校の体育の成績が悪いあまり「運動音痴」と自分でラベルを付けてしまってたんだ!あーもったいない。

数十年、わたしの代名詞になってきた運動音痴。

今更ですが返上いたします(どこにや)。

体力と根性と筋力は際限なくなくなっては来ているけど、ちょっとやってみたいこともあるので、今から諦めずにもう一度チャレンジしてみたい。

動く足もってるんだもん!運動音痴じゃないもん!自信持って頑張ってみよ。

 

まずはウォーキングの再開と柔軟から、ですな!

海なし県、滋賀で魚を食す

休日は基本お出かけ。

今日は午後から雨だというのに出かけてしまった。

当てもなく出発し、友人が以前FBにアップしていた魚のおいしそうなお店にまず行こうということに。

 

ところで、我が家族は、2004年から2010年まで、島根県出雲市に住んでいた。

島根は第一次産業が盛んな地域、海も近くてとにかく魚がおいしかった。

こちらに戻ってからというもの、美味しい魚を求め、小浜、敦賀舞鶴と遠征し、ここのスーパーが美味しいと聞けば行く。

そのため、我が家では美味しい魚を食べるということは非日常な現在なのである。

 

で、到着しました。

名神八日市インター降りて、三重の方面に向って走ること5分以内にある「サンチョク鮮魚荒木さん」

tabelog.com

 

外観は、中身を知らなかったら入るのにためらうような感じ。

でも中に入ってみると、ログハウス風だけど大衆食堂ふうな雑駁巻がなかなか面白い。

お昼は「刺身定食 800円」のみだけど、夜はお鍋や海鮮丼もある模様。

お店に入って席につくと、自動的にお料理が運ばれる仕組みなのだ。

 

友人の投稿から「量が多い」と想定はしていたものの・・・

本日のメニューは

  • アジのたたき(1尾分)
  • ハタハタの煮付け(小さいとは言え3尾)
  • 秋刀魚の塩焼き(まるまる1尾)
  • 魚の南蛮漬け(小鉢)
  • イカと大根などの炊合せ(小鉢)
  • 15センチサイズのおさらにサラダ
  • お漬物
  • しじみ汁
  • ご飯

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うーむ、多い。休むと残しそうでガツガツ勢いで食べる。

アジ、おいしいー(一番気に入った)

でもやっぱ全部は無理・・・お残しOK(容器をいただける)ので秋刀魚は手を付けずお残しすることを決めて他のものをいただく。(帰ってから温めて食べたらおいしかった)

お店の方も気さくで、美味しいご飯でござりました。ごちそうさま。

 

ちなみにこのお店、販売もされてるようで、次回はクーラーボックスとともにうかがう予定。

お魚は、週に4日ほど仕入れに行かれて、仕入れから戻ったらすぐ料理される方式のようで、だから新鮮なのねー。

店頭で販売されていたお魚たちも新鮮でおいしそうでございました。

 

昨日といい、今日といい、わたしは「美味しいものを食べる」ということについて、自分で考えてるよりも大切にしているようだ。

高いものとか、特別なものじゃなくて、日常のものを少し手とエネルギーをかけて美味しくいただく、これもある意味わたしの豊かさなんだろうな。

ということで、この日の旅は次の記事に続く。

豊かについて考えてみた@交流会編

今日はあるご縁でIT関係の集まる方の会合に参加させていただきました。

もともとその業界にいたので、そんな違和感はなかったのだけれど、なんつーかノリについていけない・・・そしてやっぱり、独特の空気感がある。

ま、その空気感はキライじゃないんからいいんだけどさっ。

出てきたセリフが「あの勢い、おばちゃんには無理ー」

とはいえ、ひっさしぶりに現役で頑張っておられる方々の話を聞き、約20年ぶりの再会があり、結果オーライでした。

あの人数を仕切って予約等をしてくださった幹事さん、まずはありがとうございます。

 

で、帰りにふとふと感じたこと。

年齢とかかもしれないけれど、わたしはあの学生がそのまま大人になったようなノリはちょっと厳しかった。

あれくらい発散しないと日々大変なのかもしれないけど。

ごはんは、同じお金を払うなら、少しでも美味しく味わえるものがいい。
(今日のお料理も悪くはないんだけど、味わう余裕がなかった・・・)

賑やかでもいいけど、叫ばなくても会話ができるくらいがいい。

 

最近、別の飲み会に出ても感じることがある。

わたしは、そんなにたくさん食べる方ではなく、お酒も飲めない。

いわゆる「割り勘負け」タイプ。

同じお金を払うなら、飲めなくて、食べなくても、「割り勘負け」と思わない集まりに参加したい。

 

ゆっくり味わう、美味しいねと味わう。穏やかに過ごす、そんなことがわたしが交流会に求める質なんだと理解する。

ひとつ大人の階段を上がった気持ちになった昨日の交流会だった。

 

まず1週間やってみる

ブログを続ける、と言って、お久しぶりになるのは一体何度目なんだろう。

3日坊主どころか、1日書いては1ヶ月位放置は普通だった。

この状況、いつまでわたしは続けるんだろう、と思ったら、「まぁいいか」でお茶にごしてる自分が情けなくなってきた。

自分なりに、ブログに何かを求めていて、結果がでなくて嫌になったり、写真いれるのが面倒で嫌になったり・・・その繰り返し。

そろそろ、そこを脱却したい。

そのためには、ちょっと無理をしてみることも必要かもと思う。

まず、1週間書いてみよう。

あまり先々まで決めてしまって、どうしてもかけないときがきて、そのまま落ち込んで失速(これも経験あり)はどうしても避けたい。

だからまず1週間。

  • 出かけたら、その先の風景を
  • 美味しいものを食べたらその記録を
  • 気になる言葉を見かけたら、そのシェアを含めて感想を
  • 本を読んだら、思うことを

こうやって書くだけでも「ネタ」あることがわかる。

できなかったのは、頭だけで考えて面倒がってたから。

メモが習慣づいてきたので、これからブログも習慣にしてみよう。

まず1週間、やってみようー。

「ちゃんとする」のワナと呪いについて考える

「呪い」といっても、オカルト的に誰かを呪うとか、誰かに呪われる、とかの話ではありません。

「呪う」って実は案外簡単なようです。ある意味、子どもに対する過剰な母の愛ってやつも一種の呪いになりかねないんですよね。

「怪我してないかしら」「間違ったことしてないかしら」

こんなこともともすれば呪いの言葉となる。

「言霊」という言葉があるくらい、人の言葉はエネルギーを持つし、それを「呪い」と呼んでいるのかもしれません。

 

さて、今日は楽しみにしていた朝活でした。

その中で、気づくとやっちゃっている自分の癖を話していたところ、「ちゃんと」という言葉がやたら出てきました。

「ちゃんとしなきゃ」「ちゃんとできてない」

ちゃんとするってなんやろう、なにをちゃんとするんやろう、という問いかけを自分にもしていたんだけど、明確に答えが出てくるわけでもない。

明確に「ちゃんと答えを出す」ループにも入りそうになる。

まさに「ちゃんと」のワナなんでしょうね。

 

子どもの頃に言わ続けた「ちゃんとしなさい」

心理学やらスピリチュアルやら勉強してきて、ブログやら本で学んで、「ちゃんとする」に意味はないと感じてても、無意識に織り込まれている「ちゃんとする」

自分が苦しかったから、子どもにはそんな思いはさせるまい、と思ってたはずなのに、気が付くと「ちゃんとしーや」と言ってしまっている。

「ちゃんと」って親から子へ、そして次の世代へ、代々引き継がれているある意味呪いなんかもしれません。

 

ちゃんとの呪いから抜け出そうと、「ちゃんとしてなくていいよ」と、許可を出しても、長年無意識に刷り込まれてきた呪いはそう簡単に解けなくて、気づいたら「ちゃんとしなきゃ」と思っている自分がいる。

 

「ちゃんとしなきゃ」って思ってるまたは口にした自分に気づいたら、その「ちゃんと」はどういう状態なのかを見つめて、具体的な言葉に変えてみる。

 

たとえば、ちゃんと家事しなきゃ!と思ったら「ちゃんとした家事」ってどんなものなのか、具体的に考えてみる。なるべく曖昧な形容詞は使わないで。

きっと人によってそのちゃんとは違っていて、掃除ひとつとっても

  • 床がピカピカになるまで磨く
  • 掃除機を毎日かける
  • 窓拭きまできちんとする
  • とりあえず散らかってるものが片付いてたらいい
  • ホコリがなければいい

全然違うと思うのです。

 

自分が望ましい状態がわかれば、その状態にすればいいだけ。

子どもにつたえる時も、ちゃんとしなさい!じゃない言葉で「こうしてほしい」をつたえるだけ。

これね、自分の状態を理解することの助けにもなるんじゃないかな。

そう思うと、ちゃんとの呪いって、ある意味思考停止を招くんですね。

 

そろそろ、ちゃんとの呪いに気づいて、思考停止をやめませんか。

自分の状態を理解して、本来の自分になれるんじゃないの?なんてことを考えた朝活でありました。

 

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